埼玉県小川町は、今ブームの「低山」をめぐるハイキングコースが豊富な地域で、町内様々な箇所にある観光案内板にも、初心者向けから上級者向けまで数多くのハイキングコースが設定されています。2024年10月某日、前回の「官ノ倉山・石尊山コース」に引き続き、今度は「霜里」「青山城跡」「仙元山」をめぐるハイキングコースを歩いてみたので、その見どころをレポートいたします。
小川町の玄関口「小川町駅」からバスに乗ってスタート
小川町の玄関口といえば、東武東上線・JR八高線の「小川町駅」。
池袋から東武東上線に乗り少しウトウトすれば、わずか1時間強で小川町駅に到着できます。
筆者は午前9時過ぎに小川町駅に到着。
この電車を使えば、駅到着から約10分後に路線バスに乗れます。
とてもスムーズな接続でありがたいですね。
駅前にはコンビニがありますので、ハイキングのお供の飲食物はこちらで用意しておきましょう。
なお、乗るバスは「小川パークヒル」行きですのでお間違いのないように。
バスに10分ほど乗ると「伝統工芸会館前」という停留所がありますので、ここで下車します。
その名の通り、伝統工芸会館という道の駅のような施設が近くにあるのですが、2024年秋時点では大規模リニューアル工事中でした。
再オープンは2025年春頃とのことですので、お楽しみに。
山を目指す我々は、伝統工芸会館の脇の道に入りまっすぐ進みます。
そのまま進むと川が見えてきますので、川沿いに左に曲がります。
これが小川町を代表する川「槻川」です。
川の中には釣りに興じている人もちらほら。
水がきれいな小川町なので、良質な川魚が取れるのかもしれません。
川沿いの道に公衆トイレがありますので、こちらで用を済ませておくことをおすすめします(この先はしばらくトイレがありません)
有機農業の里・霜里を進み板碑遺跡と登山口へ
槻川沿いをそのまま進むと、霜里地区に入ります。
すると間もなく、古くから地域の鎮守となっているであろう「下里八宮神社」の鳥居が出現。
この神社、創建年代は不明ながら、貞観10年(868年)にかつて寺があったこの地へ遷座したという伝承があることから、相当古い時代から存在する神社とのこと。
悠久の歴史を感じながら、まずは旅の無事を祈ります。
この霜里地区は有機農業の里として有名なほか、アニメ「のんのんびより」の舞台となった「旧小川町立小川小学校 下里分校」の校舎もある地域。
旧下里分校は現在はカフェとなっておりますので、時間によっては立ち寄ってみるのもおすすめです。
筆者が訪れた時間帯はまだ営業時間前でもあったので、校舎の外観のみを拝見しながら先に進みます。
しばらく里山の景色が続きます。
日常の喧騒に疲れた方にとっては、まさに探し求めていた風景かもしれません。
農作業の様子を遠くに眺めながら、霜里地区を奥の方に進んでいきます。
しばらくすると「下里・青山 板碑製作遺跡 入口」という看板が見えてきますので、矢印どおり右に曲がりそのまま進みましょう。
そのまま進むと、あれ?通行止め?と思わせる看板が見えてきます。
せっかくここまで来たのに…とお嘆きの貴方。
安心してください。
通行止めは車の話であって、バス停から歩いてきた我々はそのまま奥まで入れるのです。
柵の脇から入り、まっすぐ進みましょう。
まもなく「下里・青山 板碑製作遺跡」の看板が見えます。
「板碑」とは、鎌倉時代〜室町時代にかけて作られた石製の供養塔。
中でも「武蔵板碑」は最高級の板碑と呼ばれていたもので、この「武蔵板碑」の材料である石材(緑泥片岩)の採掘場所こそが、この「下里・青山 板碑製作遺跡」なのです。
この遺跡は道を右に外れてすぐ坂を少し登ったところにありますが、板碑の材料として使われた石が地面に露出しており、雨の日は滑りやすいので注意しましょう。
板碑製作遺跡を堪能したら、道に戻りさらに奥に進みます。
すると、右側に小さな登山口の看板が見えます。
これが今回登る青山城跡と仙元山の登山口なので、見落とさないようご注意ください。
山の空気を味わいながら青山城跡へ
登山口から山道を進んでいきます。
筆者が訪れた際には、地元の方だけでなく、川越方面から訪れたという10名ほどの団体登山者ともすれ違いました。
それなりに知られたハイキングコースであることが伺えます。
しばらく進むと青山城方面と仙元山方面への分岐点が見えてきます。
ここはいったん青山城方面に進みましょう。
この分岐点には後ほど戻ってきます。
分岐を左に曲がりそのまま進むと、青山城跡の看板の奥に上り坂が見えてきます。
この坂を登れば、すぐそこに青山城跡が見えてきます。
青山城跡に到着しました。
ここには城そのものはありませんが、堀や曲輪など、当時の遺構がそのまま残っています。
ちなみに青山城は、戦国時代に上田氏が守ったという山城。
上田氏は松山城の城主であり、もともとは扇谷上杉氏に仕え、その後北条氏に属した一族。
「関八州古戦録」にも、永禄5年(1562年)に小田原北条氏が松山城に上田暗礫斎(上田朝直)と上田朝広を置き青山と腰越の砦を守らせた、という記述が残っているそうです。
敵の動きを最前線で見張る戦国武者の緊張感が伝わってきそうな城跡です。
この青山城、最近話題の「御城印」も発行されていますので、後で忘れずにゲットしましょうね。
仙元山へ〜小川町を見渡せる眺望エリア
再びもと来た道を戻ります。
先ほどの三叉路の表記を見つけたら、そのまま曲がらずにまっすぐ進みましょう。
これから仙元山方面に向かいます。
ここはそのまま山頂方面へ。
ここまできたらせっかくなので仙元山の山頂まで向かいましょう。そんなに遠くはありませんよ。
こちらが山頂です。
ここから絶景が…と言いたいところですが、残念ながらここからはあまり麓の様子は伺えません。
眺望スポットはもう少し先にありますので、そのまま進みます。
ここでは「見晴らしの丘公園」の方面にそのまま進みましょう。
しばらく歩くと不意に景色が開けてきました。
眼下にははじめに歩いた霜里の里山風景が広がっています。
結構高いところまで登ってきたんですね。
晴れた日には遠くに東京スカイツリーも見えるとか。
ここはそのまま「展望広場」方面に進みます。
ここはわかりづらいのですが、矢印のない正面の道をそのまままっすぐ進んでみましょう。
すると、何やら木造の小屋のようなものが見えてきました。
そう、これが小川町自慢の「ローラーすべり台」の乗り場です!
小川町の風景を一望しながら、全長203mのすべり台を一気に滑り降りるのが、小川町の地元住民の通過儀礼だとか(真偽不明)
高校生以上200円、小・中学生100円、未就学児無料(保護者同乗が必要)なので気軽に乗れますね。
では行ってらっしゃい!
里山の風景と森の緑に包まれながら木々の間を滑り降ります。
展望台からは、人口約28,000人の小川町の風景を一望できます。
遠くには浅間山なども望めるこの地は、周りを山に囲まれた盆地だということがよくわかります。
連なる山々の中に平地が広がっているからこそ、古くから交通の要衝として栄えていたのですね。
下山し町中へ〜小川町ならではのお土産を
展望台の脇の階段を降りると再び山道に入ります。
ここから登山口まではそこまで時間はかかりません。
慌てずに下山しましょう。
上りより下りのほうが怪我をする方が多いので気をつけて。
この登山口から下道に戻ってきました。
ここからは町中をゆったりと小川町駅方面に向かいます。
途中には歴史のある寺社も点在していますので、立ち寄ってみるのもおすすめです。
そのまま歩くと飲食店がちらほら出現します。
筆者は、たまたま発見した土日のランチしか営業していない十割そばの店で、大盛りざるそばをいただきました。
登山後の空きっ腹には大満足でした!
お腹を満たして一休みしたら、再び小川町駅方面に向かいます。
駅までまっすぐ続く花水木通りには、小川町のお土産を販売している「おいでなせえ 小川町駅前店」があります。
地酒・地ビールや、小川町の和紙の原料・楮を使用したご当地スイーツ、醤油や塩麹のような調味料などなど様々なお土産がありますが、いずれにしても看板娘一押しのお土産を購入すれば間違いありません。
今回訪れた青山城の御城印も忘れずに。
小川町では他にも多くの御城印が発行されています。
一つずつ集めていくのも楽しそうですね。
まとめ
筆者は朝9時過ぎに「小川町駅」に降り立ったのですが、下山して町中に戻ってきたのが12時前。
ランチをいただきお土産を買って小川町駅で電車に乗ったのが14時過ぎ。
登山部分だけなら上り下り合わせて3時間弱、全体でも5時間ほどの低山ハイキングを堪能できました。
これなら登山・トレッキング初心者や体力に自信のない方でも十分に楽しめそうです。
ローラーすべり台にはお子さんの姿も多く、親子でのハイキングも良いかもしれませんね。
ただしあくまでも登山なので、軍手やトレッキングシューズなどの装備を忘れずに。
里山の風景が色濃く残る霜里、戦国の魂に触れる青山城跡、小川町を一望できる仙元山と、お子様大喜びのローラーすべり台。
特に秋〜冬は下草も少なく、山歩きに最適のシーズンです。
このハイキングコースで、小川町の農・自然・歴史をぜひ体験してみてください!